天界の秘義
天界の秘義 #1143
1143. 古代教会を構成していた民族には、以上のような名称がありましたが、その内的意味から見ると、かれらの信心それ自身を指しています。天界にいる
者は、人名・地名・民族名など、何も知りません。天界では名称については何も知らず、ただそれが意味する内容だけです。主の〈みことば〉は、その内的意味があって生きています。それはちょうど霊魂のようなもので、肉体がその外的意味です。人間に例えれば、肉体は死んでも、霊魂は生きています。霊魂が生きていれば、肉体については、すでに知ったことではありません。ですから天使たちの中に来ると、〈みことば〉の文字上の意味は何も知らず、ただ〈みことば〉の魂の中にあるものに注目します。
最古代教会の人たちは、そんなふうでした。もし現在かれらが生きていて、〈みことば〉を読むとすれば、文字上の意味には頓着せず、見ても見ないかのように、文字から抽象された内的意味だけに注目するでしょう。文字は無きがごとしです。こうして人は、〈みことば〉の〈いのち〉すなわち魂の中に留まることになります。
同じく、〈みことば〉のどの部分でも、また相互関連のある歴史的記録でも、内的意味に含まれる秘義のない単語は一つとしてありません。歴史的な文脈に留意する人には、これが見えてきません。ですから本章でも、文字上の意味や歴史的事件としての人名列挙は、古代教会を構成した人たちでありながら、内的意味では、かれらの教義事項を指しています。