The Bible

 

レビ記 24:11

Study

       

11 そのイスラエルの女の産んだが主の名を汚して、のろったので、人々は彼をモーセのもとに連れてきた。そのダン部族のデブリの娘で、名をシロミテといった。

Commentary

 

  
Photo by Jenny Stein

ほとんどの場合、"before "の意味は簡単です。相対的な時間を評価する方法としても、"誰かの前で "という意味でも、"before "は使われます。しかし,主に関連して使われる場合には,より深い意味を持ちます。主の前に」いるということは、主の前にいるだけでなく、主から善の欲求と真理の理解を受けて、それに従って生きることを意味します。そして、主に関連して時間の評価として使われる場合、「前に」とは「永遠に」という意味であり、私たちが経験する時間ではなく、霊的な状態を指します。

(References: 啓示による黙示録解説366, 617; 天界の秘義6983, 8439, 9888)

From Swedenborg's Works

 

天界の秘義 #6983

Study this Passage

  
/ 10837  
  

6983. 「昨日からも、一昨日からもそうですし」とは、永遠の昔から、弁の才がないという意味です。その根拠は次の通りです。「昨日からも、一昨日からも」とは、時間しかも過去形の時間を示すため、永遠の昔からという意味になります。しかも時間が、主すなわち神の修飾に用いられる場合、時間を意味するのでなく、永遠を意味します。

天界にも、神にも、当てはまらない自然固有のものが、二つあります。空間と時間です。両方とも天界にはなく、その代わり、状態 があります。「空間」は、存在 の面からみた状態であり、「時間」は、実在 の面からみた状態です(2625,3938節)。時間も空間も、天界では、状態になります(1274,1382,2625,2788,2837,3254,3356,3387,3404,3827,4321,4814,4882,4901,4916,5605,6110節参照)。

まして諸天界を超える神には、時間や空間はなく、状態もありません。空間に代わるのは、無限、時間に代わるのは永遠 です。この二つは、この世にある時間と空間に相応します。諸天界では、存在の面からみた状態と、実在の面からみた状態になります。

② 〈みことば〉に登場する「昨日」「一昨日」は、昨日、一昨日のことではなく、過ぎ去った時間一般を意味します。例えば、ヨシュア記にあるように、その語句が登場する箇所から確かめられます。

「ヨルダンの水はもとのところへ戻った。水は、昨日と一昨日そうであったように、ことごとく岸辺に戻りあふれた」(ヨシュア 4:18)。

サムエル記上には、次のようにあります。

「次のことが起こった。昨日と一昨日、サウルを知っていた者は、かれが預言者たちとともに、預言しているのを、みな驚いて見た」(サムエル上 10:11)。

サムエル記下には、次のようにあります。

「イスラエルの部族は、ダビデに向かって言った。サウルがわれわれの王であった昨日と一昨日、あなたはイスラエルの進軍と退却を指揮してくださいました、と」(サムエル下 5:1,2)。

上掲でも、他の箇所でもそうですが、「昨日と一昨日」は、以前から、または昔からという意味があります。

さて、「昨日と一昨日」には、過ぎ去った時間の意味があるため、最高の意味で、「モーセ」が表象する主の神的律法、すなわち主の〈神の真理〉に当てはめると、「昨日からと一昨日から」には、永遠からという意味があるのが分かります。「昨日」には永遠の意味が含まれていることは、ダビデの書からも明らかです。

「あなたのおん目には、千年も、過ぎ去った昨日のようです」(詩篇 90:4)。

  
/ 10837  
  

Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.