天界と地獄 #287
287. 平和の源はここにあります。だから主は「平和の君」と呼ばれ、しかもこの平和は、ご自身のうちにあり、ご自身に由来するものであると言われました。同時に、天使は「平和の天使」であり、天界は「平和の住まい」です。次の箇所を参照してみてください。
「ひとりの幼児が、われわれのために生まれた。ひとりの男の子が、われわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りがない」(イザヤ9:6、7)と。
イエスは言われました。
「わたしは平和をあなたがたに残していく。わたしは平和をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる」(ヨハネ14:27)。
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平和をえるためである」(ヨハネ16:33)と。
「ねがわくは、主がみ顔をあなたにむけ、あなたに平和をたまわるように」(民数6:26)。
「平和の使者はいたく嘆く。大路は荒れすたれて・・・」(イザヤ33:7、8)。
「正義の結ぶ実は平和である。・・・わが民は平和の家にある」(イザヤ32:17、18)。
2. 神の平和は天上の平和であること、また〈みことば〉ではそれを「平和 pax」と言っていたことは、次の箇所から明らかです。(例えば、イザヤ52:7、54:10、59:8、エレミヤ16:5、25:37、29:11、ハガイ2:9、ゼカリヤ8:12、詩37:37、その他)。
平和は、主と天界を意味しており、さらに天上の喜び、善のうれしさ jucundum をあらわします。むかしはあいさつに使われ、それが今日でも「あなたがたに平和あれ Pax vobiscum」となっています。主もまた、弟子たちを遣わされるにあたって、それを口にされ、承認されています。
「どこかの家にはいったら、まず『この家に平和がありますように』と言いなさい。もし平和の子がそこにいれば、あなたがたの祈る平和は、その人のうえに留まるであろう」(ルカ10:5、6)。
主ご自身もまた、使徒たちに現れたさい、言われました、
「あなたがたに平和あれ」(ヨハネ20:19、21、26)と。
3. 平和の状態について〈みことば〉では、「やすらぎの香ばしいかおり」といっています(出29:18、25、41、レビ1:9、13、17、2:2、9、6:8、14、23:12、13、18、民数15:3、7、13、28:6、8、13、29:2、6、8、13、36)。
「やすらぎのかおり」というと、天上の意味では平和を感じとることです。「平和」は、主のうちの〈神性と神人性との一致〉です。また主と天界との結びつき、主と天界の全天使との結びつき、主と主を信じる教会員全部との結びつきを意味します。そのための記念として、安息日 Sabbatum が設けられました。これは、「やすらぎ」、すなわち「平和」からきた命名で、教会をもっとも神聖な方法で表象しています。だから主も、ご自身を「安息日の主」と言われました(マタイ12:8、マルコ2:27、28、ルカ6:5)。