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エレミヤ書 48:31

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31 それゆえ、わたしはモアブのために嘆き、モアブの全地のために呼ばわる。キルヘレスの人々のためにわたしは悲しむ。

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天界と地獄 # 365

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365. 金持ちも貧乏人も、同じように天界へ行かれることが、これで明らかになります。一方が他方より容易ということはありません。貧しい人が天界に入るのが簡単で、金持ちは難しいと考えるのは、〈みことば〉で、富者や貧者といわれる意味が分かっていないからです。

霊的な意味での「富者」とは、善と真理の認識を豊かにもっている人で、教会の中で〈みことば〉に接する人たちです。「貧しい者」とは、善と真理の認識が乏しいため、それを願い求める人で、教会の外にいて、〈みことば〉に接しない人たちです。

2. 緋の衣と上衣をまとった金持ちが、地獄に投げこまれました。その金持ちとは、ユダヤ民族です。かれらは〈みことば〉に接し、善と真理の認識を豊かにもっていたので、富者といわれます。「緋のころも」とは〈善の認識〉、「上衣」は〈真理の認識〉です。

金持ちの家の玄関先に身を横たえて、食卓からこぼれ落ちる僅かなパン屑で飢えを癒し、やがて天使に導かれて天界へ行った「貧乏人」は、〈善と真理の認識〉がなく、それを求めた人です(ルカ16:19-31)。宴会に招かれ、それを断った金持ちは、やはりユダヤ民族ですが、その代わり招かれた貧乏人は、教会外の異邦人です(ルカ14:16-24)。

3. 富める者とはどんな人か、主が言われます。

「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴をとおるほうが、もっとやさしい」(マタイ19:24)。

ここでの「富んでいる者」とは、自然的と霊的の両方の意味があります。自然的な意味での富者とは、多くの財産を蓄え、それに心を置く人です。霊的意味では、認識と科学、つまり多くの霊的宝を蓄え、これを使い、自分の理知を用い、天界と教会の内容に触れたいと思う人です。これは神の秩序に反しますから、らくだが針の穴をとおる方が、もっとやさしいとまで言われています。ここで「らくだ」とは、一般にいう認識や科学的知識を指し、「針の穴」とは、霊的真理を意味します。

「らくだ」や「針の穴」にある以上のような意味は、現在知られていません。〈みことば〉の文字上の意味が、いかなる霊的意味をもつかを教える学問が、今日まで開かれていないためです。

〈みことば〉には、一語一語に霊的意味と自然的意味があります。天界とこの世の間の直通のつながりが切れた後、天界とこの世、天使と人間を再度つなぐため、霊界と自然界の相応だけで記されたのが〈みことば〉です。以上で、とりわけ「富者」とは、どんな意味をもつかが明らかになります。

4. 〈みことば〉における「富者」の霊的意味は、〈真理と善の認識〉をもつ人です。「富」はその認識を指します。つまり霊的富を指していることは、〈みことば〉の随所で明らかです。(イザヤ10:12-1430:6745:3エレミヤ17:348:750:363751:13ダニエル5:2-4エゼキエル26:71227:1-終節、ゼカリヤ9:34詩45:12ホセア12:8黙示3:1718、ルカ14:33他参照)。

「貧者」の霊的意味は、〈善と真理の認識〉がないながらも、それを求める人です。(マタイ11:5ルカ6:202114:21イザヤ14:3029:1941:1718ゼパニヤ3:1213)。

以上すべての引用箇所については、『天界の秘義』(10227)の中で、霊的意味にしたがって説明してあるので参照してください。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.