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創世記 3:7

Studie

       

7 すると、ふたりのが開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくをつづり合わせて、腰に巻いた。

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神の摂理 # 313

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313. 人間固有の思慮(チエ)のうちにいる人はどんな人か、固有のものとはしない思慮のうちにある人とはどんな人か、また神のみ摂理のうちにある人とはどんな人かは、アダムとその妻エバがエデンの園にいたという〈みことば〉に描かれています。そこには二本の木があって、一本は〈いのち〉の木、もう一本は、善悪の知識の木でしたが、かれらは善悪の知識の木からとって食べました。アダムとその妻エバが、内部の感覚すなわち霊的感知力のうちにあったことは、この地上における最古代教会のことを言っています。この教会は、それに続く教会より高貴で天的だったことは、前述したところ(241節)を参照してください。それ以外の教会とは、それに続く教会のことです。

2. 「エデンの園」とは、その当時の教会に属する人々がもっていた英知のことです。「〈いのち〉の木」とは、神のみ摂理の面でみた主のことです。「知識の木」とは、人間固有のチエ、思慮の面からみた人間自身のことです。「ヘビ」というと、人の感覚性でありエゴのことで、本質的には自己愛であり、自分固有の理知へのうぬぼれです。したがって悪魔でありサタンのことです。「知識の木からとって食べる」とは、善と真理を自分のものにすること です。善と真理は、主のみ力によるものであり、主のものですが、そうしないで、それを人間の力によるものであり、人間のものにすることです。

人間の中にある善と真理は、そのものとして神的なものです。善は、愛に属するすべてであり、真理は、英知に属するすべてです。したがって、人がそれを自分のものと主張することは、自分が神であると信じている以外にはありません。ですから、ヘビは言いました。

「あなた方がそれを食べると、その日から、あなた方の目が開け、あなた方は神のように善悪を知るようになるでしょう」と(創世3:5)。

ということで、自己愛と自分固有の理知への〈うぬぼれ〉にひたる者は、地獄で神のようになったと思っています。

3. 「ヘビ」をのろわれたことは、エゴ的愛と人間固有の理知をのろわれたことを意味します。「エバ」への呪いは、人間固有の意志への呪いであり、「アダム」への呪いは、人間固有の理知への呪いです。地から生えてくる「イバラやアザミ」は、偽りや悪だけが生じてくることです。「楽園からの追放」は、英知の喪失です。「〈いのちの木〉への道を番する」とは、〈みことば〉と教会の神聖なものが汚されないよう、主が守られるということです。裸をかくした「イチヂクの葉」とは、かれらの愛とうぬぼれに覆いをする道徳上の真理のことです。そのあと着せられた「毛皮の着物」とは、見かけ上の真理ですが、かれらの真理には、見かけしかありませんでした。

以上が、それぞれにある霊的意味です。ただし文字上の意味で解釈したい方は、そのままでもいいでしょう。ただ天界で解釈されているのは、以上のとおりです。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.