目
何かを理解するときに「見える」と言うのはよくあることです。そして、聖書の中の「見る」というのは、確かに霊的なものを把握し、理解することを表しています。ですから、私たちを見ることができる目は、霊的なものを理解することができる知性を表しているのです。
もちろん、これは否定的な意味でも使われます。聖書は人々が目を持っていて見ることを拒否していることを語っており、主がこの世におられた時には、不快な目を摘み取るように助言されました。これは、真実を認めることを拒否したり、偽りに惑わされたりすることを表しています。
(Odkazy: 啓示による黙示録解説214; 天界の秘義212, 1584, 1806, 2701, 3820, 3863 [6-11], 4410, 5810, 8792, 9051)
天界の秘義 # 1584
1584. 「ロトが目を上げて」とは、外部人間が内部人間によって照らされることを指します。「目を上げる」とは見ることであり、内的意味では感じとることで、ここでは外部人間「ロト」について言われているため、照らされることを指します。外部人間が内部人間と結ばれるとどうなるか、またどれほど美しくなるかを感じとる場合、内部から照らされることになります。そのとき、神的直観 に浸りますが、それがここでのテーマです。主の幼少年の頃、このような神的直観に幾度となく浸ったことは疑えません。外部人間に内部人間を結ばれるのは、ただ主おひとりだからです。主にとって、外部人間はご自分の人間的本質であり、内部人間は神的本質でした。