Bible

 

出エジプト記 13

Studie

   

1 モーセに言われた、

2 イスラエルの人々のうちで、すべてのういご、すなわちすべて初めに胎を開いたものを、人であれ、であれ、みな、わたしのために聖別しなければならない。それはわたしのものである」。

3 モーセは民に言った、「あなたがたは、エジプトから、奴隷のから出るこのを覚えなさい。が強いをもって、あなたがたをここから導き出されるからである。種を入れたパンを食べてはならない。

4 あなたがたはアビブ月のこのに出るのである。

5 があなたに与えると、あなたの先祖たちに誓われたカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜との流れる地に、導き入れられる時、あなたはこのにこの儀式を守らなければならない。

6 のあいだ種入れぬパンを食べ、七目にはに祭をしなければならない。

7 種入れぬパンを七のあいだ食べなければならない。種を入れたパンをあなたの所に置いてはならない。また、あなたの地区のどこでも、あなたの所にパン種を置いてはならない。

8 その、あなたのに告げて言いなさい、『これはわたしがエジプトから出るときに、がわたしになされたことのためである』。

9 そして、これを、につけて、しるしとし、の間に置いて記念とし、主の律法をあなたのに置かなければならない。が強いをもって、あなたをエジプトから導き出されるからである。

10 それゆえ、あなたはこの定めを年々その期節に守らなければならない。

11 があなたとあなたの先祖たちに誓われたように、あなたをカナンびとの地に導いて、それをあなたに賜わる時、

12 あなたは、すべて初めに胎を開いた者、およびあなたの家畜の産むういごは、ことごとくにささげなければならない。すなわち、それらの男性のものはに帰せしめなければならない。

13 また、すべて、ろばの、初めて胎を開いたものは、小羊をもって、あがなわなければならない。もし、あがなわないならば、その首を折らなければならない。あなたのらのうち、すべて、男のういごは、あがなわなければならない。

14 後になって、あなたのが『これはどんな意味ですか』と問うならば、これに言わなければならない、『が強いをもって、われわれをエジプトから、奴隷のから導き出された。

15 そのときパロが、かたくなで、われわれを去らせなかったため、エジプトのういごを、人のういごも家畜のういごも、ことごとく殺された。それゆえ、初めて胎を開く男性のものはみな、に犠牲としてささげるが、わたしの供のうちのういごは、すべてあがなうのである』。

16 そして、これをにつけて、しるしとし、の間に置いて覚えとしなければならない。が強いをもって、われわれをエジプトから導き出されたからである」。

17 さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとのの道は近かったが、は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプト帰るであろうと、は思われたからである。

18 は紅に沿う荒野の道に、民を回らされた。イスラエルの人々は武装してエジプトを出て、上った。

19 そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。

20 こうして彼らは更にスコテから進んで、荒野の端にあるエタムに宿営した。

21 は彼らのに行かれ、昼はをもって彼らを導き、をもって彼らを照し、昼もも彼らを進み行かせられた。

22 昼はが、民のから離れなかった。

   

Ze Swedenborgových děl

 

Arcana Coelestia # 8051

Prostudujte si tuto pasáž

  
/ 10837  
  

8051. 'And nothing made with yeast shall be eaten' means that they shall not make anything that has been falsified their own. This is clear from the meaning of 'eating' as making one's own, dealt with in 3168, 3513 (end), 3596, 4745; and from the meaning of 'yeast' as falsity, dealt with in 2342, 7906, so that 'something made with yeast' is something falsified. So far as making falsity and making something falsified one's own are concerned, it should be recognized that no falsity as such or anything falsified as such can be made his own by anyone who is governed by good and therefore wishes to know the truth, only by someone who is ruled by evil and therefore has no wish to know the truth. The reason why one who is governed by good and therefore wishes to know the truth cannot make falsity as such his own is that he thinks in a proper way about God, about God's kingdom, and about spiritual life, and therefore uses falsity in such a way that it is not at odds with them but somehow in agreement. Thus he softens it, and none of its harshness or hardness enters his ideas. If this were not so scarcely anyone could be saved, for falsities are more prevalent than truths. Yet it should be recognized that people governed by good also have a love of truth, and therefore in the next life, when instructed by angels, they cast falsities aside and embrace truths. They do this according to the degree of the love of truth they had in the world.

  
/ 10837  
  

Thanks to the Swedenborg Society for the permission to use this translation.