圣经文本

 

創世記第10章

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1 ノアのセム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の、彼らに子が生れた。

2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグマダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラスであった。  

3 ゴメルの子孫はアシケナズ、リパテ、トガルマ

4 ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシ、キッテム、ドダニムであった。

5 これらから海沿いの地の民が分れて、おのおのその土地におり、その言語にしたがい、その氏族にしたがって、その々に住んだ。

6 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。

7 クシの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカであり、ラアマの子孫はシバとデダンであった。

8 クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。

9 彼は主のに力ある狩猟者であった。これから「主のに力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。

10 彼の最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。

11 彼はその地からアッスリヤに出て、ニネベ、レホボテイリ、カラ

12 およびニネベカラとの間にある大いなるレセンを建てた。

13 ミツライムからルデ族、アナミ族、レハビ族、ナフト族、

14 パテロス族、カスル族、カフトリ族が出た。カフトリ族からペリシテ族が出た。

15 カナンからその長子シドンが出て、またヘテが出た。

16 その他エブスびと、アモリびと、ギルガシびと、

17 ヒビびと、アルキびと、セニびと、

18 アルワデびと、ゼマリびと、ハマテびとが出た。になってカナンびとの氏族がひろがった。

19 カナンびとの境はシドンからゲラルを経てガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムを経て、レシャに及んだ。

20 これらはハムの孫であって、その氏族とその言語とにしたがって、その土地と、その々にいた。

21 セムにもが生れた。セムはエベルのすべての孫の先祖であって、ヤペテのであった。

22 セム孫はエラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラムであった。

23 アラム孫はウヅ、ホル、ゲテル、マシであった。

24 アルパクサデの子はシラ、シラの子はエベルである。

25 エベルにふたりの子が生れた。そのひとりの名をペレグといった。これは彼の代に地の民が分れたからである。その弟の名をヨクタンといった。

26 ヨクタンにアルモダデ、シャレフ、ハザルマウテ、エラ、

27 ハドラム、ウザル、デクラ、

28 オバルアビマエル、シバ、

29 オフル、ハビラ、ヨバブが生れた。これらは皆ヨクタンの子であった。

30 彼らが住んだ所はメシャから東の地セパルに及んだ。

31 これらはセム孫であって、その氏族とその言語とにしたがって、その土地と、その々にいた。

32 これらはノアの子らの氏族であって、血統にしたがって々に住んでいたが、洪水の、これらから地上の諸民が分れたのである。

   

来自斯威登堡的著作

 

Arcana Coelestia#1255

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1255. That 'according to their generations' means insofar as they were capable of being reformed is clear from the meaning of 'a generation' as reformation. When someone is born again or regenerated by the Lord, every single thing he receives anew is in that case a generation. So also here, since the Ancient Church is the subject, 'generations' means insofar as they were capable of being reformed. As for the reformations of these nations, the latter did not all have the same form of worship, nor did they all have the same doctrine, the reasons being that they were not all of the same disposition, and had not all been brought up in the same ways and from early childhood been taught the same things. The Lord in no way destroys the basic attitudes a person acquires from early childhood, but modifies them. And if these are held sacred by the person and are such as do not stand contrary to Divine and natural order but are in themselves of little importance, the Lord lets them alone and allows them to remain with that person, as He did with many things in the second Ancient Church, which things will in the Lord's Divine mercy be dealt with later on.

  
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Thanks to the Swedenborg Society for the permission to use this translation.