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ヨハネの黙示録 19:11

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11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこ白い馬がいた。それ乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義よってさばき、また、戦うかたである。

From Swedenborg's Works

 

天界の秘義 #5075

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5075. 「これらの事があってのち」とは、先行する事柄の後という意味です。原語で「これらの事(もろもろの言葉)」とは、物事(事物) をも意味します。それで、「これらの言葉ののち」とは、当該の物事のあとであり、先行する事柄のあとということになります。

原語で「言葉」が事物を意味するわけで、内的意味上、「言葉」とは、教義上の諸真理です。したがって、一般に〈神の真理〉は、すべて〈みことば〉であるとともに、主ご自身です。そのお方に依拠して、最高の意味での〈神の真理〉が〈みことば〉になります(1288節)。なぜなら、もし〈神の真理〉を介しての〈神の善〉からくるのでなければ、全宇宙には、実在するものはなく、何ものかでもないし、物事(事物)にもなりません。したがって、ヘブル語での言葉とは、事物でもあります。〈神の真理〉を介して、〈神の善〉からくるのでなければ、全宇宙には何かが存在しないこと、すなわち事物が存在しないということは、ヨハネの福音書にある通りです。

「初めに〈みことば〉があった。〈みことば〉は神のもとにあった。神は〈みことば〉であった。・・・すべてのものは、そのお方をとおして造られた。その方なくしては、造られたものは何一つなかった」(ヨハネ 1:1,3)。

② 単語 のより内部にある含意 は、そのほとんどは、霊や天使たちと共通する内部人間を起源にしています。人はその霊の面で、すなわち肉体の死後も生きる人間自身から見て、天使たちや霊たちの社会にいて、かれらとともに生きていますが、外部人間は、それを気づいていません。かれらとともなる社会にいるという点では、普遍的言語、つまりは単語の源泉の面でも、かれらとともに生きているわけです。

したがって単語には、外形で符合しないように見えながら、内面的には符合する多くの含意的なものが含まれています。ここでの「言葉」が事物を意味すると言われるのもそれです。

他にもそのようなものが少なくありません。理性を「内的視力」と言ったり、理性には「光」があると言うのもそうです。「聴覚や聴取」が、気づきや従順を表わしたり、「嗅覚」が、物事を感知することを表わしたりするのもそうです。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.